私が変わったことで、見え方や考え方が変わってきたと感じるこの頃。
未知との遭遇で、今私は、すごく”怖い”という気持ちを抱いています。
ですが、それは、いい意味で受け取ることが出来るという事を教えてもらいました。
これまで経験したことがなかったことだから、怖いという感覚になっても仕方がないのだけれど、やっていて楽しいという気持ちで続けることが出来ているなら、それは、ただの恐怖じゃないそうです。
そしてこれが刺激という感覚らしく、こういう気持ちを日ごろから感じ続けることが出来ると次のステップへ立ち止まることなく突き進んでいけるという事だったんです。
正直、このブログを書くという事に対して本当にプレッシャーを感じていて、いつも仕事に繋がる話をする場でしかないのかなぁって勝手に自分で枠を作っていたんですね。
でもそれは違っていて、私の紹介文出会って、私を知ってもらうきっかけの一つになることが重要だったことが分かりました。
私が何を見てどう思う人なのか、それを知ってもらう場になっていることを知ったお陰で、随分とブログが書きやすくなったのです。
私が冒頭でお話した、”未知との遭遇にとんでもない怖さを抱えている”という話なんですが、何があったかというと、私が投稿している小説があるんですけど、それが日に日に1000人単位で、増加傾向しているのです。
そんな人数に会ったことないから、その数字だけでぶっ飛んでます。
良いのかなぁって気持ちと、なんか嬉しい気持ちと、半々です。
ですが、それはとても私に必要な刺激なんだそうです。
ビジネスをしていくうえで、こういう期待を背負う事っていうのが、責任を果たすことに繋がるんですよと、教えてもらったので、数字を驚くために見たり、怖いという気持ちで見たりせずに、感謝をするために見ること。そして、私は愛されているという確信を得るために見ることに気持ちを切り替えることが出来ました。
そうなんですよ!
1万を超える人たちが、既に私の作品を愛してくださっているんです!
感謝することだけ考えたらいいのですよね。
そして、それだけの人に見てもらえているわけですから、愛されている自信を持つことが出来るのです。
こんなことしたって意味がないと考えている人へ。
私が小説を書いて、今の自信を持っていなければ、本当にただ書いているだけのブログになっていたでしょう。
ただ何も考えることなく仕事に結びつきだけを関連させた内容に拘り過ぎて、何を書いていいかもわからず、挙句書いていることそのものに対して何の意味があるのかと、何も得られないまま書き続けるだけの日々だったはずです。
そして小説の方では、数字に慄いてしまって、自分にプレッシャーしか与えず、これまた続けることが出来なくなる状況を作っていたかもしれません。
このブログの意味は、確かに私を知ってもらう事。そして私がしていることを知ってもらうことが目的です。ですが本当の初段階の目的って・・もっと単純で、見てもらう事なんですよね。
たくさんの人にたくさんの大きな夢や希望がある筈です。
それを叶えるためにの第一歩って、知ってもらう事なんですよ!
”私がこういうことをしているという事を知ってもらいたい”
”こういう事をして知ってもらいたい”
そういう希望が芽生えたときに、何を始めるかを考えた方がいいですよね。
私、ビジネススクールで”最終ゴール”は何か?を考えました。
そこばっか見てると、恐ろしいことに、何から始めたらいいのかまったく頭が回りませんでした。
仕事通じて人に知ってもらう人もいるんですけど、その逆で、私の趣味を通じて、知っていってもらう方法だってあるんですね。
やり方は人それぞれで、焦ったってたどり着けないのが最終ゴールです。
だったら、人とは違う方法になったとしても、まずは自分の自信から着けて行こうという気持ちになれば、少しづつ段階が踏めるんじゃないかと考えられるようになったんです。
”こんなことやっても意味ないよね?”
そう考える気持ちよく分かります。
やっていてただ焦るばかりで、楽しさも喜びも得られないことなら、辞めた方がいいですけど、やっていて楽しくてやめられないってことなら、続けていていいんじゃないですか?
続けられることに有難さを感じながら、ご自身への愛の贈り物として、ドキドキやワクワク感を味わいながら続けていくことで、必ず次のステップへ移る自信につながるのです。
自信が付いたことで、もっと知りたくなる好奇心!
これも私の話なんですが、私は、自信がなかったことで、”あなたはどうですか?”という人の意見を促すことが出来ませんでした。
それが露呈した今、私の感覚は人と違うという事でとても大きな壁になっているのですが、それが悪いことではないと感じることが出来ました。
知らない世界をこれまで知ろうとしてこなかったことよりずっといいことなんですよ。
だから、知りたくて仕方ないなぁって感じるようになりました。
ただ言葉の使い方に問題があるので、上手に人とお話ができないので、意見を聞くことが苦手ですし、言うといったで、交通事故を招く事態になるのは、見えてますから、実施に人とお話しするのは、もう少し後になりそうな気がしますけど。
それも、気持ちの持ち方、切り替え方ひとつなんですよ。
私も人と話せるようになりたい!
ただそう思い続けているだけで変わってくることが出来るんです。
ちょっと変わってきたなぁという変化が既に見えてきたのでお話しすると、トーク番組をよく見る様になりました。
話しを振る、MCさんに注目しています。
これまでは、人の体とか、そういうのを見てて全然人の話を聞いてこなかったんだという事を改めて気づきました。
希望が出てくると、そこが注意点になるんですね。
”こういう車が欲しいと、車種、メーカー、色など・・具体的なっていれば具体的であるほど、それを見る機会が増えてくるんです”
まさにその通りで、こういう聞き返し良いなぁって思ってみているよりもこういう時にはどう聞いたらいいんだろうか?って探りを入れながら聞いていると、その答えって、出てくるんですよ。
凄いなぁって、思って終わりにしないで、
答えをくれてありがとうって伝えると、また次にも別のパターンで欲しい答えが出てくるんですね。
もっぱら、テレビのラジオで学んでいる会話術ですけど。
それでも、先ほどの話じゃないですが、”意味ないじゃんか?”なんて全然感じたことないんですよ。
やっぱり目標をもって、何でもいいから、今日一日過ごすっていいなぁって感じているんです。
自信と理解力
自信がないといろんなことに対してカチコチに固まっているから、脳の働きも悪いし体の使い方もよくないですよね。
自信が付いてきたなぁって感じたことで、分かってくること多くあります。
要は、理解力が付いてきたと言事なんですけど、気づきを得たという言い方もできるかもしれませんが、その辺はよく分かりません。
何を理解できたかというと、何で私って怒る人にばっかりあってきたんかなぁっていう、その意味が分かったんです。
それは、私に必要だったからだけではなく、どうやら、期待されているからということらしいんです。
こんなもん背負って生きていけないっていう時には、そういうことを言う人はいませんでした。
ですが、何かの変化に気が付いて、いつも応援してくださる方が私にそう言ってくださいました。
他の人にはそういう事は言わないのに何で?
そういう想いを抱いている人、私以外にもたくさんいらっしゃる筈なんです。
なぜそんな目に遭わないといけないの?
そういう気持ちもよく分かるんです。
ですが、その本当の意味を分かっていないんですよね。
そういうかわいそうな運命だとわしも思ってましたけど、そうじゃなくて、期待を背負っているからなんです。
”だれか”という人ではなくて、たぶん沢山の人たちの期待でしょうね・・
私も自分で言っていて、全然実感わいてないんですけどね、恐らく不特定多数の事なんじゃないかなぁって思うんですよ。
たった一人、特定の人っていうんじゃなくて。
その期待に応えるって、すごく勇気がいるじゃないですか?
小説投稿して、1万超えて、数字見て血の気が引いている私です。
そんなんしてる場合じゃないのよって?
やっぱり怒られないと、シャキンとしないのが分かるから、怒ってくれるんでよ。
本当にどうしようもない人を嫌いだから怒るっていうのは、子供がする事なんですね。
大人がそういうことするのは余程幼稚な人なんです。
そういう人にも出会ったことがあるんですけど、それは私が幼稚だったからなのです。
今は、本気で怒ってくれる人がちゃんとそばにいてくれています。
ビジネススクールの先生が特にそうです。
私の為に!って、本当に一生懸命に怒ってくれます。
それは先生ご自身が私を何とかしようって決めたからっていう事ももちろんあるのですが、やっぱり、私自身が何とかなるようにっていう強い思いを私に伝えるためなんですね!
何故なら、私が変わらないと変われないから。
何とかするのは私自身で、何とかなっていくのだって私自身なんです。
だから怒るんですよ。
本当にうれしいことですよね。
親でも、40超えた人を怒るなんて、まずしないのに、先生がちゃんと真剣になって怒ってくださるって、本当にありがたいことですよ。
それだけの価値があるという事なんです。
そしてそれだけの想いに答えることが出きるという期待を、掛けられてると私自身が認識することなんです。
もちろん先生は言いませんよ?
ですがそうなっているんです。
去年から参加しているこのビジネス講習です。
去年の私は、全く人の気持ちまでは読めることはありませんでした。
だからなのですが、先生が、怖かった・・・・
こんなこと言うと子供見たいって感じる人いっぱいいそうですけど、本当なんです。
じゃ、今はというと、言葉では聞こえたりしないけど。滅茶苦茶熱く感じるんですよ。
伝われ~!とか、分かれよ!とか。
兎に角、まっすぐなんですね表現が。
これって先生が変わったんじゃないと思うんです。
恐らく私が変わったんですよ。
先生は去年も今も、何も変わってないんですね・・たぶん・・
つまり自信が付くと、怖いって思っていた人をちゃんとまっ正面から向き合って、これは自分のために言ってくれているのか?それともただその人のエゴかっていうのが判断できるようになるんです。
それは、自信が付いたことで、考える能力が引き寄せた、理解力の速さが身に付いたからです。
まとめ
・人は未知の領域に入ると、恐れを感じます。
・ドキドキやワクワクによって導き出された未知の領域にだったら自信が伴います。
・意味がないことでも感謝と愛をこめて続けていることで、引き寄せる幸運があります。
・学びや、理解を深めていくことが出来るようになります。
追伸:
理解力といういい方を、”気づき”と言っていいかどうかを迷ってしまったのは、スピリチュアルの考えでは正しいとされているのですが、脳か科学的には、違いが生じているので、分からなくなりました。
(医学的には、”分かる”、”理解する”というのは、脳の働きによるものですが、”気が付く”とか、”気づきを得る”というのは心の働きだとされているからです。)