もう頑張らなくていい。“赦すことを許す”だけで楽になる
今の感情に流されずに、まっすぐ希望の道へ進む方法。
私は、昔のトラウマに悩まされることがよくあります。
気にしているわけではないのですが、ふと、どうしてもそういう感情が出てくることが会ったり、忘れていたことを思い出したりするんです。
その時に、消そう消そうと、躍起になっていると更にのめり込んでいたりもしました。
何度もそういうことで瞑想整体を繰り返してたことがあります。
ですが、それ・・・間違いでした!
過去の嫌な記憶、悪い感情、それらを消そうとするなら、まずは認めた方がいいです!
こいつらを赦せない!ってことを。
そして、オ・ポノポノ・・”赦す私を赦し下さい”と伝えることです。
本心の私は許したくない。
けれど、ずっとこの感情を抱いたまま前進することはできないと気付くことです。
だからこそ、必要なのは、”赦すことを許してもらう”ことなのです。
潜在意識を味方に付けるには、この気持ちはとても邪魔なのです。
何故なら、潜在意識に善悪の判断はできません。
そうなると、潜在意識は、この本心さえも餌にして、具現化さることができてしまうのです。
”もう、こんな目には遭いたくない!!”
いくらそうは思っていても、私の中にこういう気持ちがある以上・・
許せない!!という気持ちがある以上、同じことを現実化させてしまうのです。
だからこそ、”赦してしまうことを許す!”と、決めることなのです。
そうしないと、いつまでもこの暗闇からは逃れられないままになってしまいます。
どれだけ、違うことでごまかしたり紛らわせていても、あるものはあるわけですから、何れは具現化されてしまうのです。
それを恐れていると、前にはいくら進んでも、戻りたくなるのです。
気にしない、気にしないといくら考えても、思っても、何もできていないと感じるのは、何も進めていないからなのです。
そう‥分かっているんです。
胡麻化したり、紛らわせているだけで、根本的解決にはなっていないと、私自身が分かっているから、結局、過去を思い出すような出来事を目にしているわけなのです。
忘れたいなら、”思い出さないようにする”のではなく、”赦してしまう”ことです。
そして認めることです。
”赦せない”と感じている私自身がいることを。
認めないと、これまた許せないんですよ。
”誰か”を許すのでも、”何か”を許すのでもなく、赦してもらうのは、私自身なのです!
私自身に赦すことを許してもらう!
その為に、赦せないという気持ちがあることをまずは認めましょう。
”赦して”しまえば人との関係を深めるブロックは取れる
お金を稼ぐには人との関係を深める必要はある!
そう理解できたのに、どうしても先に進めないのは、”人が嫌いだ”って気持ちがあるからです。
そこは認めることができたのに、どうして、その先にあるものに対して目を向けようと私はしてこなかったのでしょうか・・
それは、”忘れた気になっていた”とか、”人を悪く言うのは良くないから”とか。
色々理由はありますが、それら総てが嘘なのです。
見なかったことにしようとしてただけです!
深く掘り下げて誰かを悪く言うって・・・そんな陳腐なことはしません!
そうではなくて、”赦せない”という感情がまだ残っているからだったんです。
許せない感情を残したまま何ができるのか、何を変えられるのか・・
この先を考えた時に出てくるものは、何もないのです!
それなのに、赦せないという感情を残しているということに気が付いた私。
何を想っていたんでしょうか・・。
確かに長い時間でした。
ですが、既にその長い時間以上を私は生きているのです!
今更、許せない私が何をするっていうんでしょうか。
これだったんです!
私が”生きる生ごみ”化した原因。
もっと早く、この”赦す”ということに気が付いていたら、もっと違う形の今を歩んでいた筈なのですが、そうできてないのは、赦すという視点を違う方向へ向けていたからなのです。
”誰か”とか、”何か”ではなく、私自身を許す・・つまり、それは”私が悪い”という考えになっていたから、生きる生ごみになってしまったのです。
赦すのは、”赦せないと認めていなかった”からなのです!
”赦したくない!”という気持ちを認めていなかったから、いくらオ・ポノポノを続けていても効果が出なかったのです。
慈悲の瞑想をくらやってても・・
”誰か”や”何か”に対して、慈悲の瞑想をいくらやってても私自身の本心と向き合っていなければ、その瞑想の意味はなかったのです。
まずは、本心と向き合うことだったのです。
本心と向き合うというのは、果てしなくエゲツない事なのです。
かなりの毒が出てくるからです。
そして、”その毒を出すな!自分自身の心が汚れるから”というのが、ヴィパッサナー瞑想では伝えていますし、トランサーフィンでも”振り子に揺さぶられてしまう”と伝えていて、更に、マーフィーの法則”では、”潜在意識が自分自身が吐いた毒を引き寄せてしまう”と、伝えています。
これらを鵜呑みに信じると、”自分の本心は隠すもの!”というかってなるルールが私自身に創り上げられていました。
ですが、そうではなく、それを誰にも言わない事!というのが本当なだけです。
想うだけはただなのです。
誰かに話をするということが良くない事なのであって、”そう思っている”と認めることは重要です。
まずはそこを認めることなのです。
私で言うと”一生かけて許せないことがある”とか、”一生かけて復習したいと思っていることがある”など、認めることはすごく大事なのです。
その上で、それら総てを許して白紙にすることを決めた私自身を許してください!という気持ちを慈悲の瞑想(私で言うと”オ・ポノポノ”で伝えること)だったのです。
目標達成の道が悪いことにならないように
いい気持ちで目標達成への道を歩んでいこうとしている中で、要らない感情を抱えているということは、とても邪魔になるのです。
折角楽な気持ちで楽しく前を向いているのに、どうして過ぎ去った過去に苛まれていなくちゃいけないのでしょうか。
心に傷を負っている人はたくさんいる中で、それでも前を向いて生きている人たちが笑っているのに、心から笑えないのはとても残念です。
そして私自身の潜在意識が弾き出してくれた大きな可能性!
可能性があるからこそ、そう伝えてくれた”300円を300億円にする”という途轍もない目標を歩みだした私が、どうしてこんなちっぽけなことをいちいち気にしていなくちゃいけないのでしょうか。
何もかもがおかしいんです!
そのおかしい原因もまた私自身にあったんです。
”赦せないと思っている私自身を認められなかった”という、ちっぽけ過ぎる原因だったのです。
この事を理解してしまえば、私は、赦すことが簡単にできました。
許せないと感じる人たちは、これからでも幾らでも現れます。
考えが違うのですから、寄り添い合うことができないのは仕方のない事です。
それでも、今の私自身が許せてしまうなら、これからだって許せると思います。
”誰かを許す”とか、”何かを許す”では無く、そうなった私を許す、そういうことに出くわした私を許すことで、心を大きくそして広くしていくことは可能だということを知りました。
300円を300億円にするためには、感謝と寛大さが必要。
300円から300億円を稼ぐために必要なのは、その100倍の感謝!って事で3兆回の感謝をしようと、毎日何かしら感謝を伝えるように心がけている私です。
ですが、”赦せないということに対して許すことを決めた私自身を許す”ことで、人との関係はもっとよできる筈!そう気が付くことができた私は、心広さと大きさを持つことも必要だということを知ったのです。
それに気が付いてみると、私自身の心の小ささと狭さって・・蚤かミジンコか?!ってくらいみみっちいということ言うことを知ることもできました。
過去の経験をいまだに背負っていたわけですから。
そしてそれを許せない・・と・・認めることさえできていなかったわけですから。
相当小さすぎました。
なのに、認めてしまえばいとも簡単に許すことができたのですから・・
本当に呆気ないものでした。
もっと粘るんだと思っていたのに、さぁ~~っと消えて行ったんです。
過去の傷跡何てそんなものかぁ‥って感じることができました。
詰まり、ちょっと爪で削れば、取れてしまうかさっぱちと同じだったのです。
血が出るかもしれないから、触るのはやめておこうってずっとあるけど気にしないように、いずれ引っ込んでいくだろうって・・触れないようにしていたものが、いつまでたってもそこにある。膨れ上がってるわけでもないけど、血が出るから・・って事で触らなくて、でもそのかさっぱちが何かに触れると、とても邪魔。
取ってしまえば楽なのに、そうするのが怖いと・・何もしないまま邪魔だ邪魔だって・・
そう思っているだけで、心が汚れるっていうのに、そこに気が付かないままで。
それで、ある時、どこかにぶつけたり擦れたりして、その反動で取れたら、出血もなく、痛みもさほどなく、ぽろっと。
だったら早くそうしていればよかったぁ~~って・・・あれですね。
そうなんです。
もっと早く対処はできたんです。
ですけど、そうしなかった私を許しましょう。
それなりの言い分は過去の私にもありますから、聞き入れて許してあげしょう。
何事もそうですが、やってみないとわからないのです。
やる前は、何もかもが不安なのです。
それはみんな同じで、過去の私も同じでした。
これからの私だって、不安なことはいくらでもあります。
それでもやってみたらこういうこと・・って簡単に感じることだってあるって知っている数を増やせば、”初めての体験”だって楽しいものって気持ちになるのです。
私はすでにその気持ちを知っています。
人を許すなんて、大それたことは私にはできません。
ですが、私自身の本音を聞くこと、そしてそれを認めること、更にそれを許すことならできるということは、もう知っているのですから、今後だって同じ流れで進んでいくことも分かっています。
どうしても人目を気にしてしまう
人目を気にしてしまう・・それ?本当に私自身ですか?!って事に気が付いたんです。
人目を気にしていたの、私じゃないということが分かったんです。
気にすることないのに、気にしてしまうことってありますよね。
わたしで言うと、それが”人の目”なのです。
ですが、今の私はそうは思わなくなりました。
なぜなら、気にしていたのは私じゃなかったからです!!
勝手に周りが気にし始めただけだったんです!
そもそも人の目を気にし始めたその理由は、いじめにありました。
イジメる人たちが!見てるだけなんですよ。
私が見てたわけなじゃいんです。
ですが、それを私が見ているから・・そういうわけです。
ま・・こうなってくるとトラウマは出てきます。
それを専門家に相談すると、これまた”そうとしかいいようがないでしょうからねぇ・・”って言葉が山のように出てくるんですよね・・。
解決法はないのです!
誰にでも同じことを言うしかないんです。
それを認めたうえで専門家に頼らないと、心物ぶっ壊れますよ?!
私は精神科に通ったら壊れ切ったんですが。
それでもよかったかもしれないです。
発達障害だと、言われたので。
当時・・私が通っていた学校教育がおかしいんですけどね・・・
その地区に通っているからその学校へ通うっていう・・。
で・・監視されてたの・・私は。
何をするにしても、何かしら言うわけ。
そりゃねぇ・・心壊すわ!
ガラクタばっか作って何してんだろうねぇ~~・・学校ってところは。
でも、それ抜け出すと、自由だから・・っていうけど、既に壊れた人間が自由とかなんとか考えることはできない!
自分に合ってることって何だろう・・
将来何しよう・・
って・・いじめに遭ってる人たちは考えられない
なんだったら、いつ殺してやろうかとか、考えられる人はまだ生きられるって。
自殺ばっかり考えてる人いるからね。
なのにそうしようとすると、邪魔が入るっていうね・・
代わりに生きてくれるんですか?ってことなんですが・・。
そういうわけで、人目を気にしてしまう人たちを山ほど作り上げていたのが私らの世代なんです。
おもしろいほど、引きこもり自殺志願者はいまして・・・
これ・・このままで本当に好いの?!って気持ちになります。
人目気にしている私だったんですが、そうも言っていられない状況ですから、ここで書かせていただきました。
乗り越えられる人ならいいんですよ。
何も言えなかった人もいるでしょ?
ずっと悪口ばっかり言われてて、何も言い返せなくて・・
そういう言葉しか聞いてないからなんですよ!
家に帰ると、”なんでそういうこと言うの?!”ってことを言われる羽目になるっていうね・・。
そういう環境の中にいます!っていうのが言い分ですよね・・。
私はそういう環境の中にいましたから、よくわかります。
だからでしょうね・・私のお店に来るお客さんのお子さん・・・
学校に行けていない方が多いです。
そして、親も学校に行かさず、塾に通わせていたり、親御さんが自分で勉強を教えていたりしています。
お客さんのうちの一人のお子さんは・・学校に通って数年したら、突然言葉が悪くなったり、性格がきつくなったり、かと思うと暗くなったりしていたそうで、それで事情を聞いても話さなくなったから、学校へ活かすのを辞めたそうです。
そのため塾の講師をしているその親御さんが、自分で子供さんの勉強を見るようになったと・・。
そういう親御さんもいらっしゃるんだぁって思いました。
私のお店に来てくださるときも、親御さんの施術中にお勉強している子供さんです。
分からないところがあると、施術中に質問していました。
凄い信頼関係ができているんですね。
人目を気にしている人たちの傍に居させない!
言葉が悪い人になって欲しくない!なら、そういう人のものとから引き離す!
それが大事だって、気が付かされました。
あの環境の中にいて、人にやさしくしましょう・・って嘘だ!
人が見てるから、挨拶して、学校の中だから丁寧な言葉を話して・・
そうじゃないところでは、ルール無視・・。
そういう生き方が好きならどうぞって感じで、私は絶対厭でした!
でもそういう人たちなんですよ!
”いじめは良くない”って言いながら、実は、”いじめになるのは社会的には仕方ないから”って・・そういった先生が正しいんです。
イジメに合う人が悪いってはっきり言える学校教育は正直だと思います。
だったら、逃げ道があってもいいと思っていたところ、結構いらっしゃるんですよ。
私のお客さんで、学校に通えない子供さん。
通えない成りに好きなことがるっていうなら、それに没頭できますが、親が心配するのは、その”好き”が無い事なんですよ。
私もそうだったんです!
好きなことはなかったんです!
何となく手にはするけど、続かないです。
これが親御さんの心配の種になっていたんですね。
いろいろさせてみようとするけど、全然やる気が起きない。
その通りで私自身の過去と被りまくっていて、分かりすぎるくらい分かりました。
ただ・・早いうちに没頭できることを見つけてもらいたいって思うんですよ、親御さんは。
その気持ちも分かるから、何かないかなぁって考えたら・・
できました!
塾の講師をされている先生・・あのお客さんに協力してもらいえないかとお話をさせていただいたんです。
そうしたら、日中は開いているからって事で、まとめてお子さんたちを見てもらうことができました!
その説明会会場に私のお店を使うことにしたのです。
思いがけないことがおきなぁってそう感じました。
人の目を気にしていて、言わずにいたら、こうはなっていなかったんです。
お話させていただいて本当に良かったですし、お話していいというお許しをいただいたので、出来たことでした。
本当にありがとうございます。
ただね・・そのあとどうなるかは・・
本当に本人次第なのです。
どれだけ環境が良くなったとしても、変われないことはあります。
そういう運命を背負ってしまったんだと、言わざるを得ないんですよ。
残念ですが・・。
ただそれを誰が言うか・・なんですよね。
そういう想いをしたことが無い人が、軽くそういったところで、何も心に響かない・・
そう感じています。
私の言葉が響いたのではなく、皆の想いがつながったから、動いた結果だったことが本当にうれしいです。
今もある・・これからもまだある人との悪い関係性ですが、そこからどう生き延びていくか、あるいはどう終らせるか・・
どちらにしても、”生きる生ごみ”って思うような人が減っていく自分づくりを一人一人ができる環境を選ぶことができる時代になりつつあるかもしれないって事が私は嬉しく感じています。
何にも振り回されず自分の道を素直に歩んでいける環境づくりが何よりも大事ですね。
そのお手伝いがちょっとできたこと・・
潜在意識の大きな力でした。
詰まり、潜在意識の大きな力でも、ちょっとした行動という結果にしかならないということなのです。
大きな結果を出すには、潜在意識を大きく広くしていく必要がある!
そう感じることができたので、私自身を認めて、赦したくないという気持ちがあることを知ること、そして、それを認めたうえで、赦したくないことけど、赦すと決めることから始めていくことにしました。