体内循環を順調にすると運気が上がる。
よく言われていることですが、体の中をきれいすると運気が上がります。
私は、スピリチュアルなことは分かりませんが、セラピストとしてお話しすると、これは本当です。
では、なぜそうなるのでしょうか?
体内循環を良くすることによって、体を動かしやすくなるので、行動力が出てきます。
そうすると、いろんなことが起きますので、心を動かしたり、頭を働かせることが必要になり、心身ともに程よい運動ができるので、自分自身に合うことと合わないことがわかるようになるのです。
自分自身に合うことが見付けられれば、それを行うことが楽しくなったり、上手くできなくて悔しくなったりと気力も更に動くようになり、知力も悔しい想いをしたくないと働かせることで、集中力も上がってきますし、記憶力から”次”を見据えるように働くことができるのです。
その繰り返しによって、物事の上達に繋がり気分が良くなり、更に没頭できるようになっていくからです。
運が良くなっているように感じないのは、体内循環が未だいい状態ではないからかもしれませんし、運が良くなっていてもそれに気が付いていないだけかもしれません。
運が良い状態とは?
”運が良い”と聞くと、どんなことを思い浮かべますか?
最初から天に上るような感じのことを思い浮かんだ方は、体内循環が滞っている方かもしれません。
運が良い状態とはそこまで激しい幸運には見舞われません。
私は北陸に住んでいますが、能登大地震で被害に遭った方をこれでもかというほど報道で伝えられています。それでも私は同じ北陸の地に住んでいて、心を痛めながら何もできないでいます。
そのことを本当に悔しいと感じながら暗い気持ちになっているだけでいいのでしょうか?
折角、何も起きずに助かった命ですから、この命と住み慣れたこの地でできることを探そうとすることが、”運が良い”ということなのです。
”運良く助かったからよかった~”ということではなく、折角助かったんだから、”自分にできることがあるできることがある”(かもしれない)と感じられることが運が良いことなのです。
私自信も”運がいい”か”悪いか”を結果論だと間違えた覚え方をしていました。ですが結果論ではなく先があるのか、ないのかを表しているだけ過ぎないのです。
身体の循環を整えれば先がある、運のよい状態に持っていけるのです。
そのために必要なのは、やはり自分の身体を知ることです。
色々やっているけれど結果が見えてこない。という方は先の見据えようはありませんよね。
ですが”やり方を変えよう”と気が付くことができた方は、”運がいいのです”。
やり方を増しが得ていると気が付けて、変えてみよういう変化も恐れなくなっているので、やり方自体は確かに間違っていましたが、少しづつ体内循環が正常になっている証拠ですね。
とにかく結果が出続けるまでは!と躍起になって闇雲になっている方は、”運が悪い”のです。
残念ですが、結果が出ていないどころか、全く体内循環が正常ではない状態なのです。
こういう人は自分に疲れてしまうのですが、変化を恐れている人なのです。
なぜ変化を恐れるのか?
なぜ変化を恐れるかというと、活力がそもそも低下しているからです。
低下した活力では、慣れない刺激を体が受け付けられない状態になっているため、”変化させる”という行動を起こせないのです。
知力は、体を守るためにありますから、”変化”という刺激を望まない身体に対して、”現状維持”を常に要求するのです。
誰かの話を偶然聞いて、”その話面白そう””自分もやってみたいな”と感じたとしても、”どうせ…”とか”~何か…”とかいう言い訳が出てくるのも、体の循環が滞っていて、刺激を受け付けられないことを脳が知っているからです。
スピリチュアルの世界では、自己開発とかで、脳への刺激を知力を呼び覚まし、気力からアプローチするというやり方をしています。
私のところでは、体の循環を整えて活力を上げ刺激を受け取れる正常な受容器に戻させて、自ら考えて気が付いたことを楽しむというスタンスで取組んでいるのです。
体内循環を上げるということは、激しい運動が必要になりそうとか、食事制限をしないと…と不安になる方もいらっしゃるでしょうけど、そんなに負担を掛けなくてもできます。
必要なのは、今、あなたの体で滞っているところがどこなのかを、私が知ることなのです。
私が持っている特異体質の体内が見えてしまうというのを利用して、お体の中を見せていただきます。
そこで、滞ってしまっている部分を循環させるために必要なことをお伝えさせていただく施術を遠隔で行っているのです。
個の施術方法を”BODY Scan”と言います。
間違えないでくださいね。
体内循環を整えて運が良くなるというのは、急にお金持ちになったり、悩みが消えたりするということでは決してないのです。
そうなりための”気づき”が生まれ、それを行動に移せるようになっている状態なのです。
私がこのことに気が付いたのは、実は、私も何をやっても体の循環が滞っていた時期があったからなのです。。
体内循環が滞っていた頃は、頭に何か浮かんでも、”やってみよう”という気には決してなりませんでした。
それが何故なのかと言うと、やはり循環がうまく言っていないからです。
頭に浮かんだことなら、行動(体)から感じる(心)へと回って、また学ぶ(頭)へと戻ってくるのが普通なのですが、この時の私は、ずっと頭だけだったのです。
頭に浮かんで、頭の中で否定して、頭の中でどうせだめだろうと言い訳して、そして心で諦めていたのです。
なぜこんなことが起きるかというと、何も受け入れることができないからです。
失敗するのが嫌だからとか、こんなことをして誰かに否定されることを想定していたわけではないのです。
ただ単純に面倒くさかったのです。
この時の私の体内循環をしている部分が本当にわずかで、停滞していました。
失敗や、否定されるという怖さは、実行することを実際に想像しているわけですから、一歩踏み出しいるのです。
もしこれを読んでいる人で、何をするにも引っ込み思案だったり、人目を気にしすぎてしまう人は、
体内循環はしていますが、滞っている状態なのです。
停滞している人の状態比べたら、まだそれを順調にすることは容易な方なのです。
私は停滞していた状態から、自力でほんの少し循環部分を増やして、”不安”や”気にする”という気持ちの動きを得ることができるようになりました。
その後、色々試してみましたが、そこから動きを得ることはできませんでした。
そして、何がそう結果が出たか分からないままいろいろやっり続けていたら、知らないうちに体内循環が以前よりもよくなっているなと感じるようになったのです。
これが”気づき”です。
上手くいかないことにばかり目がいっていたのは、この時の循環が現状維持をしていたからだったのです。
そしてまた何かを始めてみると、どこかしら循環を始めるので、また
気づき”が生まれてくるのです。
”気が付いてよかった”
こう思うことができれば、変えていくことができるのです。
私は、今は自分の好きなことを見つけることも楽しみながら探しています。
直ぐに好きになれるんものなんて実はそんな簡単には見つからないのです。
やってみただけで飽きてしまったり、試し見ようとさえも思えないことだって結構あります。
その間に探しつかれてしまって、”もう見つからないかもしれない”という気持ちが芽生えてしまったり、”私好きなものなんて本当はないんじゃないか”という不安定な気持ちが表れてきます。
この時に、「私の気持ちは、下向き下限だから少し休もう」と気が付いたら、体内循環が弱ってきているだけなのです。
そのまま不安定な気持ちを持つだけで、何も気が付かないと、体内循環は悪くなる一方になるのです。
最初のうちは、自分のことにだけベクトルを向けてください。
自分の気づきに気が付けないのに、余所に目を向けようとすると、体内循環がていたいしていく原因になるのです。
たとえば今の私です。
このブログを読んでくださる人のことを考えて、この文章を書いているわけではないのです。
ブログ初心者の私が、誰かのために書いたりできません。
私自身が書きたいというテーマに気が付くことができれば、それでよい状態なのですから。
それが、自然なことになると、今度は、一文をどういう文節の並びにするかを考え、少し””文章になるか”についての気づきを得るように集中するのです。
こうしてブログを書いている時じゃなくても、いい文章、良い構成が浮かんだとしても、ただ流すだけになることだってありますが、これも”気づき”なのです。
タイミングが悪くて悔しいと感じるのもいいですし、残念だけどまた別のものが浮かんでくるだろうと手放すのもいいのです。
手放すことも、できず、拘りすぎていると体内循環が悪くなり、新しい”気づき”に出会うことができなくなってしまうのです。
運良く”気づく”ことができたとしても、行動に移せなければ先が見えませんが、行動に移せる活力が芽生えれば、知力による抑圧はなくなるのです。
運を良くするにしても、やはりご自身が変わらなければ何も変わらないのです。
そのためにお手伝いをさせていただいているのです。