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やりたいこととことん!それでわかる自分にとっての必要性!!

  
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やりたいこととことん!それでわかる自分にとっての必要性!!

一つうまく行かなくなると、何もかも諦めたくなる衝動が走る私です。

このブログも、パスワードとIDが合わず、更新できずにいたこの数か月です。
もう諦めようかとしていたところ、端末を変えましたら、すぐにこのページが出てきまして、それでまたやる気になりました。

何が間違えていたから、こうなっているのか・・全く分からないのですが。
端末が違うと使えないって事が分かりました。

続けていくことが自信に結び付く・・・というのは、本当だと感じました。

それが、私自身のビジネスには全く結びついていないことですが、本当にそうなんだぁというは実感できています。
ですが、続けているからこそ得られるものなので、実感できました!はい、終わり!!とはならないのです。
これまではそういうことが多かった私ですが、終わりがないからこそ、実感し続けられるものなんですよね!!

継続というのはなかなかし辛いです。
はっきり言えば面倒になります!
それでもやり続けていると、その中でまた新たな発見があったりして、面白さを感じるようになりますね。

私が感じたことが実証されていたことで自信を持てた・・思ってもいないところから出ていた情報で驚きと自信を貰ったこと。

人の体の中が透けて見えているというお話はこのブログで何度もしていますから、誰も不思議は感じないでしょうね。

だからこそなんですけど・・アルツハイマーになっている方の脳の中を見ると、うつ病になっている方とほぼ同じ・・・それ以上に神経の動きが出ていないことが見えていて・・ひょっとしたらこの二つの病気は関係しているのではないかということを考えていた私です。

ただ・・そのことについてしっかりと記されている文献をまだ見つけたことがありませんでした。
そして、私もそこまで深く追求しなくなっていたところで、偶然に見つけました!
それも・・・ゲームで・・・。
なんてところで見つけたんだと、私も感じましたが。

ただ・・街を作っていくというだけのゲームなんです。
面白そうなので始めて見ました。

ゲームっていうと・・私は何が何でもクリアしないと・・っていう訳の分からない強制的な感覚が出てきてしまうのですが、別にやり切らなか打てもいいって事に気が付いたんですね・・このゲームで。

なぜそうなったか?

このゲームは・・精神的安定を持たらすことを目的としたゲームらしく、そのために無理にクリアしなくてはいけないという概念を外してくれるのです。
私は別のゲームで、”街を作る”という内容のゲームをしてたことがありました。
その時は、時間内に要求に答えないと、アイテムが貰えないという・・条件だったので、常にスマホが気になっているという・・・分からない強迫観念のようなものに捉われていたんです。

でもそういう方・・いらっしゃるのではないでしょうか・・

楽しむ時間の一つとしてゲームをしているだけなのに、それがいつの間にやら、自分の時間をそこに縛られてしまうという・・感覚に陥ってしまう方々。

これがそもそもの間違いなんですけど、時間制限があって、アイテムが付いてくるとなれば躍起にもなりますね。
そういう感覚にならないゲームの作り方をしている、今私がしているゲームには、一切そういう負荷がかかってきません。
だから楽しんでできています。

創作に打ち込むことで鬱になるリスクを大幅に減少することができるのです。

鬱になりやすい人は、意外と想像力が豊かなのです。
それを何らかの形で、表に出すことで、鬱になるリスクを大幅減少させられるのです。

例えば、私で言うと、小説を書いていますが、そのストーリーをずっと頭の中で描き続けていて、文字にすることなく過ごしていると、うつ病になっていたのです。
表に出すというのは、形を作り出すことで、人に見せるということではありません。
頭の中だけでの想像は、自分自身を籠らせることになり、それがやがてうつ病や、躁鬱という症状を引き起こしていくことになるのです。

感情を言葉にして吐き出す方が楽になるということと同じで、頭に浮かんだイメージ図や、思い描いたストーリーも吐き出す必要があるのです。

イメージしているだけでは、ダメで、創作しているとうつ病リスクを大幅に減らすことができるのは何故でしょうか・・

創作している時だって、イメージしているのは変わらないのに・・・

そう思った人いませんか?

私は、そういう疑問が出てきました。
ですが、これ全く違うんですよね・・
創作している時は、イメージだけしている時よりも体を使いますし、何よりイメージはできているのに、うまく行かないってこと多いですよね?
この困難があることで、気持ちのバランスを取っているんです。

生きていても、やはり心の乱れって出てきます・・
人との関係でトラブルにあったり、思わぬ事故に巻き込まれたり、悪くないのに悪いって言われてしまったり・・何となく自分を責めたりして。
イメージしているだけでは、意外と簡単な工程で、すぐにできてしまうようなことも、実際にやってみると、形が変だったり、思うように形どれなかったり・・色々あるんですよ。
それを実感することが面倒でその解決に導くのもさらなる面倒ではありますが・・実はこれこそが生きているエネルギー・・活力と気力を持ち上げるために必要なみなもとになっていたのです。
”クッソ~!うまく行かない”って焦って苛立つでしょう?
最初のころは、本当に苛立つばかりで、全然楽しみなんてなく、むしろもうやめてやろうかというきもちになるかたもいらっしゃるでしょうが・・本当に好きなことでしたら、続けていくうちに、それが穏やかなものになるのです。


うまく行かなかったことで八つ当たりをしていた私も、小説を書き始めたことで、”うまく行かない”なりの理由を落ち着いて考えるようになった。

私が小説を書き始めたのは、ある人との出会いがきっかけです。
それから小説を書くことに集中するようになりました。
集中していると、最初は何も考えずにそれだけに没頭出来ましたが、次第に”こんなことしてていいんだろうか・・”という不安に捉われるようになりました。

ゲームもそうですけど、やり始めると時間を忘れていつまででもやり続けてしまう私は、切上げるということができないのです。
そんな時に・・思い出したのが、”好きなことをとことんやりつくしてください”という・・いつ聞いたかもわからない誰かの言葉でした。
”好きなことに熱中してやれるところまでやりったら、自分自身に本当に必要なことは何か・・それが必ず見えてくるのだから”
そういう言葉です。

本当にそうなのかな・・と・・まだ自問自答している所ですけど・・・
たぶん少しだけ気が付いてきたから、こうしてまたブログを書いているんだと思うんです。

本当は、これはビジネスとして書かないといけないものだから・・
そういう気持ちで書くことも、手が止まっていて・・そしてパスワードとIDを忘れて・・大変な目に遭ったのも、もしかしたら暫く書く必要がなく、気が付いたらいつでも書いていいということなんだという気持ちで、今、こうして書いています。

小説書いてて、愉しいのは楽しいですけど、空想の産物なので、決して現実世界にはいないわけです。そればかりに頼っていても仕方ないというのか・・たまには足元をしっかり見ないと、生きている実感を得られないのも確かなのです。
詰まり、小説という創作も、ブログという創作も、どちらも私には必要なのだということが分かりました。

日本語が難しいと言われている・・と日本の人から聞いて驚いたこと。

話しは変わりますが、最近外国語を勉強し始めたという方を多く見受けられます・・そこで聞く話が、”日本語は難しい”という・・この言葉。
そこまで難しいと感じたことはなかったのです・・私は。
5か国語・・アジア内の言葉ではありますが話せる私が感じたのは、”この5か国語の共通点があるからわかるけど・・”って事でした。
日本語は・・広東語と同じで、略式で話していることが多すぎて・・とにかく間違いやすいんですよね・・
難しいんじゃなくてややこしいのです。

広東語にもこれがあるんですよ・・・
例えば、”仕事をする”という単語・・この”仕事”って単語そのものが”やること”って直結しているから、”あなた何しているの?”って言ってるの、”あなたの仕事は何?”って聞いているのか・・分からないんです。
そういうことが日本語にも存在しているので・・”頭切ってくるわ”っていうとネイティブスピーカーの日本人なら、”あ~散髪行くんだ~”って繋がりますが、そうでない人からすれば、”頭の手術を受けに行く”という誤解を招いた言い方になるんですよね・・・

ですから、私は外国語を学びながら、面倒くさい言いまわしてするな・・って思う事の方が多かったんですが・・・これ・・実を言うと大きな問題になっているんですね。

教科書でしか日本語を学んでない人たちにとって、日常会話がかなり溝になっていることがあるのも確かなんです。
それによって、丁寧な話し方ではありますが、長ったらしく答えがすぐに来ないっていう感覚を持つ人たちもいるようで・・・そこは理解をしてあげようって思うのは、冷静な時だからそうおもうだけなんですよね・・切迫した状況で丁寧にゆっくり話されても、訊いている相手が逆に焦るということも起きてきます。

私も、日本語を話すアジアの人たちが何故そこまで落ち着いて丁寧に日本語を話すのか・・凄く気になっていました。
わたしは、外国語を話すときに落ち着いて話していられないからです。
実際に中国へ行って留学してた時も、現地の中国人たちは、かなりきつめに話していたから中国の人があそこまで落ち着いて話しているのをあまり知らないんです・・が。

ここでできたのがやはり格差だったんですね・・
大学まで出ている人は、かなり落ち着いていらっしゃるんです。
また、ベトナムの方々は、元々ゆっくり丁寧に話すことができる方が多いみたいです。

今年に入って、私は久しぶりに従兄弟の姉と会いました。
その時にもこの話題が出てまして・・
中国の教育って・・なんていうか・・人を選ばずに厳しくするというのが、大学でもあるんです。
ですから、私も厳しく鍛えられたんですけど・・
遠慮しないというのか・・教育っていうと、高校までかなぁ~っていう気がしてた私ですが、大学でも教育って言うんですね・・ってその時知ることができました。

従兄弟の姉話してて
”気が付かない人に何を言っても気が付かないんだから、その人を諭すだけの時間を割くことよりも、それ以上に目を配らないといけないことに時間を使うことが重要”っていう・・・ことを言ってました。
本当にその通りだと感じました。
私は、目を向けられて教育された大学へ通うことができたのですから、そのことに対して物凄く感謝しています。

ただ・・それを感じたのは、今になってようやくです。

それまでは、本当に私と、私が接触する人たちとの間に大きな溝があるような気がしていて、どうやっても合わせることができなかったのですが、そういう人もいるということを知るだけでいいということが分かってよかったのです。

従兄弟の姉と更に話を進めていくと、アジアから来ている子供たちが福井県にも多くいるようになって・・生活水準はそこまで低くはないにしても、日本から言えば、だいぶ低めかもしれない・・くらいの方々です。
それがまた日本の教育とギャップがあって・・
優しくなっている日本の教育・・そして何より発音の違い・・
これによって優しい発音がなかなかできずに、怒っているの?という・・感情の溝が生まれますね・・・
それに対応しないといけない学校の先生も大変なんですけど、そう感じ取られしまっている生徒・児童もまた複雑な思いをしているのです。

ただ・・これは・・
どこの国の人でもあると思うんですよね。
そういったつもりはないけど、違う言葉に変えられていたとか・・
”理解しずらい”って言葉を”理解できない”とか”理解しない”とか・・・
努力義務が必要って意味で言ったのに・・・ってことあると思うんです。

そういうのと同じで、言い方ひとつで、気持ちも一緒に伝えられてしまうからどこの国の言葉でも、学ぶのは、本当に大変だとそう感じています。

大変だけど、何か一つ楽しみがあるなら・・それがまた癒しの時間になる様に、気楽に続けて行けば、上達もはなくなるのではないでしょうか。

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