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私はここにいる!私の魂からの役割を知ることが仕事になる!

  
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私はここにいる!私の魂からの役割を知ることが仕事になる!

体の不調を取ってやりたいことができる体になる笑顔を作るための役に立つ
これがわたしのしごとです!!

こうはっきりと言えるようになったのは、無くしていた魂がようやく手に入ったことで、気が付かされたことでした。

”しなやかビジネス”という照屋智子先生に、教えていただいた、”魂が抜けていることを忘れてない?”という言葉で、魂を預けていた神様と話をしたときに、神様も私に向かって”言われてから気が付くな!そうやって基本を忘れていくお前には何ができるのか?!”と厳しく怒られてしまいました。

”アレができるようになった”
”コレもできるようになった”
と、凄く自分自身のことを自信を持ち始めたところでしたが、実は、魂が抜けていることをまったく気にしていなかった私。
できるようになったところで、それはすごく情けない事だったのです。
基本的に大事なことを見失ってはいけないのです!!
できるようになったことを喜ぶこと、感謝すること、そして自信を持つこと。
これはしてもいいことです!
気づいたことは何も悪い事ではありません。
ですが、抜け落ちてしまうことはよくない事なのです!!
目的を忘れてしまっていてはいけないのです。

仕事とは寒けないことで一生懸命に好きなことを続けて、それを自分を喜ばせる時間にしているのは何故なのかとかんがえると、答えはすぐに出てきました。
自分の魂を輝かせるためだったのです。
その魂がない状態だということも気が付かなかった私は、一体何をしていたんでしょう。

そのお陰で、毎日私は自分の魂を預けている神様に話しかけるようになりました。寝る前に。
そうすることで、結構厳しいことを言われてしまっています。
”無責任だ!人に人生を任せておいて、それまで何食わぬ顔をして過ごしていたお前は、自分を生きてはいなかった!!これからもこうやって人任せにしていくのか!?それで何をしようというのか?何をやっても中途半端にならるだろう!!”と。

まさにその通りでした。
何をやっても中途半端にしかならなかったと思うのです。
魂がないことで、気が楽になていたからです。
3日間話しかけることによって、戻してもらえた魂ですが今は頭の中にあります。
本当は魂というのは、へその下、背骨の儀切り際に埋まっているものです。
それが今は、頭の上です。
生き方を見直していくことで、下に降りてくると言うのですが・・・どうしてよいものか・・・

見つからないという答えを探し続けることから逃げてしまう私。

”どうせ見つからないでしょ?そんなの・・”
そういう気持ちの甘さから私は、それならそれでいいという考えに流されてしまう私です。
根性がないのです。
本来あるべきところにそれがないということならそれでいいというのは、絶対に良くないというルールを自分で作ることができません。
元に戻らないことが、どう不便なの?
そういう考えになっているから、人に騙されたり、おかしな事故を起こしたりするのです。
それは私のルールが確立していないからです。
目移りしたりするのもそのせいです。

自分の居場所を自分で作る

魂がちゃんと腹の底(丹田)にある人は、自分の居場所を必ず確立できています。
逃げることはないのです。
子供が自分の好きなものをいつも持って歩いては、どこかへやってしまい、気が付いたらなくなっていて泣きだす・・・という現象が起きますが、あれは頭の上に魂があって、まだ自分を確立できていません、だからそういうことが起きるのです。

成長するとともに、だんだん下に魂が下がっていき、いづれは丹田に流れ着いていくのです。
私はその過程のどこかで放棄していたわけです・・・
それは、環境のせいだったとか、周囲の人間のせいだって言い訳して、自分を確立してこず、仕舞には自分の魂を大事にすることを忘れて傷つけることばかりしていたから、結局は取られてしまったのですが、その間に修復してもらい、”生きる道”を見直すという切欠を与えてもらいました。
だから今は自分が楽しいと思う事に没頭できているのですが、それ・・・何のために?!というと、”自分の魂を輝かせて自信を取り戻す”ためだったのです。

その目的を忘れてて、別の次元で預かってもらっていることも忘れて・・・
それは確かに自己責任がないとしか言いようがない状態ですよね。

小さい子供を養護施設に預けっぱなしで、自分の時間を満喫しているのがさも当然のような・・
介護施設に両親を預けっぱなしにして、一切連絡を取らないような・・・そういう状況にしていたわけです。
神様だっていくら何でも、怒ります。
そういう基本的なところに目を行かないで、何が責任だというんだ!?と、神様がそういうわけです。

智子先生にそういわれてようやく気が付いた。
それがまた、神様たちは、怒りにかかりました。
”人に言われないと気が付かないようなことじゃない”と。

お陰ですぐには帰してもらえませんでしたが、”その魂は私のだ!”と言い続けて3夜目にしてようやく返してもらえた魂は頭の中です。

そこから丹田に戻していくのは、私自身です。
なんでそこじゃないといけないの?
頭の中にあったら何が不便なの?!
言いたいことはたくさんあるのですが・・智子先生が言うのは、ここです!!

”素直に人の話を聞いて受け入れなさい”
私これしたことある・・
私この話聞いたことがある・・・
そういう気持ちで聞くと頭の中は、私が失敗していることを受け入れずに”やったこと”だけに意識が向いて、そのあとの結果を変えることはできないのです。

結果が出ていないから、今こうしてこの講座を受けているのに、これまでに仕立て来たことがあるという経験だけで物を考えていると、新しいものは入ってこないんです。
”やってきたことがある”
”その話言聞いてきたことはある”
だけど結果は出ていないのが実情なのです。
だったら、なぜ同じ話を聞いて、何が間違っていたのか?何ができていなかったから悔過が伴わなかったのか?!そこを考えなければ名前には進みません。

神様の話も同じなのです。
この結果を出した私自身が、何のために魂を取られているのか?
なぜこういう結果を出したのか?
そこを考えようとしなければ、また同じことをしでかすのではないか?!
これまで同様に自己責任は総て蔑ろにして、環境とか、周りのタイミングとか・・それが原因といい、自己責任を果たす覚悟は付かないまま、その場しのぎの人生を歩むのではないか!?
それで一体何ができるというのか?!
そういう話になるわけです。

素直に受け入れる・・・・というのは、”丹田に戻すように自分の人生を生きろ”と言われたのですから、”なんで?”・”どうして?”と言ってないでその方法を考えることに徹することがまずは私の課題なのです。
後から幾らでも、”どうして?”・”なんで?”というのは言えばいいのですから。

子供が、”なんで?なんで?”を繰り返すのも同じで、頭に魂があるからなのです。
納得がいかないといつまでも聞いてくる。
ですが、ほとんどの子供は、今その疑問を言ってきても、明日明後日にも同じこと言うかというとそうでもなかったりします。
飽きたから・・というのがほとんどの理由ですが、頭に魂があると、やったらやりっぱなしなのです。
言うだけ言って、満足したらそれで終わるのです。
丹田に魂があると、それをしっかりと頭ではなく気持ちと体でそれを理解するので、気持ちと行動がつながった実効ができるのです。

なので、こだわっていることに関しては一切ブレもなく生き抜くことができるというわけです。

発達障害だというのは、私の場合違うかもしれません。

大変申し訳ない話ですが、診断までされてしまった私ですが、”発達障碍者”だと私は言えないかもしれません。
今の段階ではそう言えないんです。
言うなら、”発達遅延者”なのです。
丹田に魂を落とし込んだ時に、やはりこういう症状が出ているとしたら、私は”発達障碍者”だと言えるのです。

私に憑いている神様は、良くない神様で、私がつながっているところは悪い場所かもしれないということも言われてしまいましたが、これまで何事もなく見守ってくださったのは、この神様たちのお陰なのですから、悪い神様ではないことは確かだと私は感じています。
それでも、自己責任がなさすぎる私は、その神様を見放していたのですから、悪いところに繋がっていたのでは決して悪いのではなく、私自身に問題があったのは確かです。

魂が戻ってきたと実感した瞬間

何かをすることが急に恐くなってしまったことでした。
ブログをSNSに上げる。
これをしようとしたときに、恐くなる気がしました。

自分で書いた小説を投稿すること、その小説を読み上げて配信すること、自分のブログで書いた内容を音声配信で伝えること・・・いろいろできることはあるのですが、魂をけ取った後も、それらはできているにもかかわらず、魂を受け取った後からすることについては、なかなかブロックが外せなくて”できない”という気持ちが強くなりました。

それは何故なのか・・・・
自分を持ってしまったからです。

生まれたての赤ちゃんが、人見知りすると思いますか?
生まれてきて1~2年すると人見知りを始めます。
その生まれて1~2年たった赤ちゃん同様に、自分を知り始めた瞬間が今だからです。

”緊張”ということを覚えてしまったのです。

これなら魂がなかった方が良かったじゃないか?!
私は正直そう思うのですが、そこに打ち勝つこともまた多摩市を丹田に下ろしていく一つの手段であり、試練なのだと、私は感じることができました。

”私はこれがしたい!”という気持ちがあって続けていることはたくさんある中で、SNSに投稿することの何が怖いだと・・そう感じてもいますが、人と比べてしまうのもまた、”自分がある”証拠なのです。
ですが、本当の自分を持つためにはそこに打ち勝つ必要があるんです。

”人と比べない”
これができるようにならないと、本当の自分は手に入らないと、照屋智子先生は言います。
自分の仕事・・・自分の役目を果たすために必要なことは人と比べていては果たせないのです。

”体の不調を取ってやりたいことを実行できて笑顔にする”ことが役目だと堂々と言えるようになるためには、まずは自分を確立させることなのです!

そのためにはまずは自分の殻をぶち破らないといけません。

なんでも悪く言う癖がある私は、”魂なんてものがあるから、恐怖を感じるんだ”と思っていますが、魂があるから、試練もあるし、課題もあるし、それによって達成感だって得られるわけですから、なくていいものでは決してないんです!!

基本的なことは忘れがちになりますが、それこそ忘れてはいけないことだというのを今回身を持て知ることができました。

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