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自分を変えてみたいなら小さな目標を、体からの行動で達成してみましょう。

  
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自分を変えてみたいなら小さな目標を、体からの行動で達成してみましょう。

人と話していると、どうしても長くなればなるほど、”だからさっき言ったじゃないの・・・?”って言いたくなることがありますよね。
それを、どういう気持ちで受け止めるかによって、寄ってくる人の性格が変わるものなんです。

”だぁかぁらぁ~~!”ってどうしてもイラついてしまう様なことがあっても、
”この人、いったい何が分からないから、何度も同じこと聞くんだろうか?”
”私の説明の何が足りていないからこの人は理解できずにいるのだろうか?”
こう考えて、相手の気持ちに立ってみることが大事なのだということが、ようやくわかってきた最近です。

本当はもっと早くこういうことを知っていれば・・そういう想いになりますが、今、漸く知ったのだから、それを大切にしていくことが、私の目標になっています。

人から言われて、私にもあったかもしれないと思いだすきっかけになった話。

私が何気なくしてしまっている事で、人を軽く傷つけていたりすることがあります。
それを見直すこともなく、私はやり過ごしてきました。ですが、誰かにそういう切欠を貰って、”私もそういうことしていることあったわぁ~”という見直しをすること結構多いです。

”まぁいいだろう・・”
”その内どうにかできるだろう”
そういう甘い思い込みで、私自身をないがしろにしているから、相手に対しての配慮もかけていくことになるんだと、私は感じるようになりました。

今日あった出来事で言えば、折りたたみ式のキャスター付きの、荷物を載せるカート。あれが自転車走行する、路側帯に歩道から飛び出して倒れてしまったのを、おばあちゃんが一人で、それを拾おうとしていたんです。
車を走らせていた私は、路側帯の遺物に気が付きながら、止まりませんでした。
走りすぎたところで、そのおばあちゃんが、動いたのを見て、”あれはおばあちゃんのものだったんだ”と確認できました。
車を止めてあげたらよかった・・・そう思うだけで、何もできなかった私。

そうところで頭が働かず、ただ見過ごすことになるのは、神経が働いていなかったとか、私は頭が割るからと、言い訳して過ごしてきましたが、実は、そういう事ではないんですね・・・
先を読んでいないんです。
何か異物があると気が付いていた。
その遺物の前には、人がいた。
だったら、その遺物は、その人のかもしれないという判断ができるものを、敢えてしなかったんです。

”さっきも言ったのに、なんでまた言わせるの!”
分からないから、同じ質問してしまう人に対して、どうしてわからないんだろう?と考えないで、怒ってその人を責めているのと同じことを私は、してしまっていたんです。

これって酷い話ですよね。

余裕があると優しくなれるではなく、優しい余裕を持つという事。

経済的ゆとりがあっても、時間的余裕があっても、優しい人にはなりません。
優しさに余裕がなければ、気が付かないからです。
”この人きっと困ってるだろうなぁ・・・”とみるだけ見て、何もせず、誰かに何かを聞いているのを見てから、”やっぱりあの人困ってたんだ・・・”そういうことをどうしてもしがちです。
私もしていたんです。

声を掛けるのが怖くて・・
勇気が出なくて・・・

そういう理由を並べて見過ごしていましたけど、そういう行動に出られないのは、優しさの余裕がなく気が付いてても気が付かないふりをしているからでした。

ではどうしたら優しさに余裕が持てるんでしょうか?

その人の立場に一度立ったことがある人ならそうできるのでしょうか?

私が思うに、
”誰かが、こうしてくれたら・・”
”誰かがこう教えてくれたら・・・”
”もっとこうしてほしかった・・・”

そういう気持ちを抱く人多いと思います。
折角手を貸してもらったのに、その時には自分に余裕がなくて、助けが半分だけだった・・・
そんな時心からお礼を言えたでしょうか?

私にはそういう経験が幾度となくありました。
折角かしてもらった手・・・私は素直に受け取っていなかったんです。
お礼を言うよりも、まずは、不満と不安を抱いてしまっていたんです。
そんな私だから、見逃してしまうのです。

あの時にちゃんとお礼を言っておけば、
”たぶんあの人大丈夫、きっと誰かに聞くだろうから”と、言う思い込みで、身凄くことはなかったんですよ。

ですから、私は、今回は何もできずに見過ごしてしまった、折りたたみ式カートを、路側帯に滑らせてしまったおばあちゃんに対して、何もできなかったことを謝ると同時に、何もできないことを自覚させてもらった事に対して、お礼を車の中から伝えました。

今度は絶対に手を貸そう。
そういう覚悟で、その方を車のバックミラーから見送っていました。

余裕がなかった人に出くわしやすい私。

とにかくプンプンと怒る人に出くわしやす私です。
まるで、私とすれ違う人はみんないら立つわけです?と言いたくなるくらいに、頭に来ている人、腹が立っている人、堪忍袋の緒が切れている人に出くわします。

いいんですけど、怒りたい人は勝手に怒っていても。
ですけど、怒っているなら、怒っているなりの責任を取って欲しですよね。
”これはこれでいいですか?”
そう質問しただけなのに、
”だからそういってんだろう?!”という勢いで答えられても、委縮するだけで、何もできません。
ですが、それがさも当たり前みたいにして、怒りを飛ばしている人・・・
なんか気楽でいいなぁって思ってしまうようになりました。

昔は本当に怖くて、人と顔を合わせると、その人は怒りだすということがインプットされてしまい、人と話すのも目を合わせるのも嫌になっていました。
ですが、今思うと、そういう人たちは、気が楽でいられていいことなんです。
好きか手に怒って、好きか手に暴言吐いて、好き勝手に人の心を踏みにじっているんですから。
でも・・そういう人になりたいとは思いません。

一時期そういう人になりたいと本気で思っていました。
その方が、気が楽だからです。
皆に怖がられて、気を使ってもらって、わがままにできる。
そういう人になって見たいって、誰だって思いますよね。

じゃぁ、そういう人になった時に、何ができるんでしょうか・・・
誰がそういう人を助けたいって思うでしょうか?
人は、一人では生きていけません。
信頼できる人がどうしても必要になるのです。
その時に、誰にでも好き勝手に怒りをぶつけるような人を目の前にしたら・・・
”この人怒らせると面倒だから助けてやらんでもないなぁ”
という気持ちで手を貸されてしまいますよね・・・

若しくは、助けてももらえないかもしれません。

優しさを知らないから、礼儀にも欠けていると思われてしまうのです。
私がもしこういう人と同じ生き方、考え方をしていたら、何も気が付かずに気楽で生きてこれたと思うんですけど、それって、本当に自分だけの世界しか見ていなくて、広がりを見せられなかったと思います。

今の私の時間の中で、怒りに身を任せて怒鳴り散らかす人がいないのは、私自身がそういう人になりたいという想いは一切なくなったからなんですね。

それと同じことで、最近よく出くわす、”あ~・・あの人助けてほしいんだ・・”と見逃している人たち。
この人たちの出会いは、私が手を貸したいと本気で思っているからです。
タイミングを見計らう以前に、気持ちと行動を繋げる必要が私にはあるんだと感じました。
優しさに余裕を持つこと。
これが私の課題です。

自分が見つけた目標を難なくこなせる人とこなせない人。

私は、自分御目標をすぐに見失ってしまい、目標をこなせない人です。
その理由を考えてみると、かなりひどい言い訳をしていることに気が付きました。
それは・・”誰も教えてくれなかった”でした。

・・・どういうことだよ?!って自分で情けなくなりました。
目標を作ったのは私です。
ですからそれをこなすためにどうしたらいいかを考えるのも私自身の責任なのです。
それを人のせいにしているって・・・どこまでも無責任だということが分かりました。

目標を達成できる人は、少しづつ少しづつ小さいことから積み重ねて行動してきているから、大きな目標だって、こなすように考える力がすでに備わっているんです。
それが私には、まだそこまでのことができないというだけの事だったんです。
その遅れが出ているのは・・人のせいって・・・かなりひどい人間でした。

これも先ほどの話につながっていて、知らず知らず人の心を踏みにじっているんです。
わざとじゃないからまぁいいか・・・
そう思うことだって可能といえば可能です。
だったらもう次はそう考えてはいけないんです。
そうできないから、苛むんですよ。
だったら、行動するほかないわけです。

私が立てた目標は、今の私にとっては大きなものでしかありません。
それを必ず達成しようとすれば、必ず達成できますが、そうできないのは、私自身が忘れているからなのです。
誰も教えてこなかったわけではないのです。
ちゃんと聞こえていたんです。
それを忘れたから、できてないだけなのです。

忘れないためにできること!”まぁいいや”の癖をとにかく治す。

見えているのに、やらないという脳の癖を直していくことで、”忘れた”ということはなくなります。
体でまずは覚えることが先決です。
頭で覚えようとすると、大きなストップがかかってしまいます。
それは脳は多細胞だからです。これは、繊細ということです。
繊細だから、やったことがないことを嫌う習性を持っています。
ですが体って、単細胞なので、体で覚えたことは、自然と無意識に動けてしまうものなのです。

体を動かすのが面倒って人は、まずは、体を動かすという行動を癖付けたほうがいいです。

私も、本当に嫌いな掃除・・
何をどう片付けていいのか・・捨てていいのか悪いのか・・いつかは使うんじゃないかと考えると、収納場所がないのに、保管。
こんなだからモノがあふれにあふれて、結局片付かない。だから掃除もできない・・・

ですが、物が落ちてたら拾って捨てる。
それって誰にでも思いつくことなんですよね。

この延長線上で、いるのかいらないのかの判断は、頭ではなくて体にさせることが大事なのです。

”今は夏で、この服は冬物・・冬になったら着るかもしれない・・”
というのが脳の判断。
”この服、この何年か来てないから捨てる!”というのは体の判断なんですね。

気に入っているかどうかは体の方が判断早いですが、着ていないもの関しては、脳が判断するようにできているので、先を考えてしまうんです。

身体が来ていないと判断したら処分するというやり方を選ぶと、何かしら効率よく進みます。

目標を達成することを、すぐにできてしまう人は、この一連の判断がすぐにできているんです。
体が先に動いて、あとから脳が働く。
そういう神経の動きが、すでに身に付いているから、目標達成が早いのです。

子供の時から何かしら集中して、やり熟している人は大人になると、仕事も早いし、自己実現しやすいのは、昔からそうできていたからなのです。

これからという人は、少しづつ、ゆっくりでいいですから、やりたいこと、達成したい目標をまずは見つけて、それを実現できるように、体で行動を起こすことを癖付けていきましょう。

私も、苦手ではありますが、少しは掃除と片づけができるようになりました。
その時の気持ちとして、”やらないといけない”ではなく、”やりたくなる”という気持ちが芽生えるだけでした。
ですから無理なく、できるようになりますので、体から行動をしてみましょう。

まとめ

・人を責める前に、自分を見つめなおしてみましょう。すると意外と自分にもそういう経験があったりします。
・まぁいいか・・で終わらせちゃいけないものまで、そうしていることがあることに気が付いてください。
・”私ってイヤな奴だなぁ”って自己嫌悪しないで、”ありがとう”と”ごめんなさい”を伝えましょう。
・目標達成したいなら、体で行動することを先にしてみてください。

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