BodyScan  整体

ずっと続いてほしいドキドキ・ワクワクする気持ち。それが私への感謝の気持ち。

    
\ この記事を共有 /
ずっと続いてほしいドキドキ・ワクワクする気持ち。それが私への感謝の気持ち...

自分にベクトルを置いてみることが出来るひとになるために。

”私”に対して自信がないと、他者にベクトルを置いてしまいます。
それがなぜなのか、私自身の人生を通して考えて見ると、とても悲しいことに自信がなかったからなのです。
ビジネスの世界で学んだのは、”責任を持つ”ことが”愛情”になるそうです。
私が他社にベクトルを向けていた時点で、私自身への責任を放棄していたことになるのです。

”~が言ったから”
”~から聞いたから”
だからやってみた。そしたら失敗した。
当然失敗するんですよ!
それで今度は、
”~に書いてあったから”
”~さんがこれで成功したから”
これでも失敗はするんです。

何故ならすべて他人からの請負をしているだけだからです。
その中で、”私”を考えて見ましたか?

私のやり方に合っているかな?
私は、楽しんでやれているかな?
私はこれを必要としているかな?

他者ばかりを見ているので、比べることしかできていなくて、私自身を中心には何も考えていなかった結果が、成功しないという痛手になるのです。

自信がないと他者中心になってしまう。

自信がなかったころ私はすべてそうでした。
”だって・・”がつきものの人生だったのです。

だって、私しか見えてないんだもん。
だって、他の人にはわからないもん。
だって、人と違うんだもん。

今の私も、過去の私の気持ちがよく分かります。
誰かに認められることで、受け入れられた感じがします。

でもそれって、ちょっと違うんですよね?

”わかるよ”
”大変だったね”
”苦労したんだね”

そういう言葉を言う人よりも、その一歩先を見据えて、
”じゃぁこうしていったらどうですか?”
”こういう生き方もありますよ?”
”こういう考えをしてみたら?”
そうやって、道順を教えてくれる人の方がよほど行け入れてくれている人たちなんだと今私は理解が出来ています。

他者の気持ちになって考えることは本当にできないんです。
心が読めたとしても、体の中が見えたとしても、そこをくみ取って、話をすることを、”私がしたい”と思わないと、できないことなんです。
私がこうだから、相手もこうだろうというのは、自分にベクトルを置いているとは言わないんですね。
それは、相手を見ていないんです。

自分にベクトルを置くというのは、どうしたら、私が”楽しくなれるのか?””嬉しくなれるのか?”を考えることなんです。

相手を遮断してしまって、私中心で話していることが楽しいのならそれでいのですが、驚くくらいに脳波とか、筋肉の動き具合で、”全然理にかなっていないことをしやがって?!コイツゥ~”って感情が堂々と表面に現れるんですよ。
それを見過ごすことが出来ない私は、”・・・やってしまっている・・・”という後悔の念しか渦巻きません。
それって、私自身にいいことしてないのです。

最終的には、やっぱり私!

後悔先に立たずと言いますけど、”あの時やっておけばよかった”という気持ちが絶対出てくることが先に分かっていることは、やるのをやめておきましょう。
悩みどころにはなりますが、結局は”私”なので、私が納得して、気持ちよく進められる方法を考えていくのがいいですね。

こんな私ですけど、変わってないところだってあるのです。
”これどう考えたらいいの?”ってやつです。

ビジネスで大切なことは、”次に繋がる”話方をする。
そして、”愛をもって伝える。”

せっかく話を聞いている相手さんが、ふたを閉めたいと思っている話を、ぶり返してこなくてもいいかと、考えた私。
ビジネス講習のセッション中に、”何かほかにありますか?”という質問をされたので、私が素直に答えました。
”あるんですけど、自覚していないことなのではなすのはやめておきますね”
という一言に、先生が、注意してくれました。
ですが、正直言って分からないんです。

”私”にとって、ふたを閉めたいほど隠していて、自覚がない話を聞きたいという人の気持ちがまず分からないんです。
自覚してなくても隠したいことって、みんなあると思うんです。
おっぴろげに隠し事がない人もいますけど、大体隠し事って自覚してないことが多いと思うんですね。余程の悩みでなければ。
それを聞いてきた人は、本当に聞きたいことなのでしょうか?
良い話なら聞きたくなりますが、悪い話だと・・・愛を持って話すことは不可能な私なのです。
そこで考えた一瞬にしての作戦が、”次回に繋げるためにいったん逃げよう”でした。
ただ、これ・・私自身に嘘をついているみたいで、絶対良くないです。

次会までには、その自覚がない隠し事を、どういうか考えることが出来ると自信がある人なら本当にそれでいいんですよ。
たぶん私は、まだまだ今の自分の、特殊感覚を使いこなせていない訳ですから・・忘れるのは早いんです。そうするともしその”次回”っていうのがちゃんとあったとしても、もう一度最初から見直すことになり、思い出すまでに時間がかかるので、感謝もなければ、愛もない伝え方をしているだけになってしまうことが、講座を受けて暫くぼーっとしてたら気が付きました。

”私”にベクトルを置いて、感謝と愛を伝える話し方をしようと決めた。

悩むくらいなら言わないことに決めたんです!
この方法が合っているかどうかは分かりませんが、言っていいかどうかを判別付かないのだったら、言わないって決めようという事にしました。
私の仕事は、人の心を覗いて見ることではなくて、体の悩みを解消・改善することですから、心の中身からきている体の不調を見分けるためなので、隠しておきたいという事が見えたのでしたら、例え聞かれても言わないという事にして、”何もないですよ”っていうこともしてもいいかもしれないなぁという答えが出ました。

なんていうか・・私は低レベルな人間だなぁって、本当に自覚した講習会でした。
見えたから言ってみた。
でも・・それはその人にとって不都合だから言うのを辞めたんですけど。
そもそも見なくてもよかったんですよね?

窓が開いてるから、ちらっとよその家の中を見たっていうのと同じです。
開いてると見たくなるし、”何みたの?”って聞かれるとつい答えてしまいたくなるんですけど、ちゃんと見たら、見ない方がよかったという事があるので言わなかったのです。

ここで得た教訓:
ちゃんと見てから判断しましょう。

私をちょっと褒めてみる。

言い方も接し方も悪かったので、先生に怒られも仕方がなかった私です。
ですが、ちょっと私を褒めてみると・・・自信が付いたからできたんです!
人を見るのが恐かった。
人と話すのも怖かった。
そういう私ですが、ちょっとだけ自信が付いたから、言えたことですし、できたことなのです。
後は使い方の問題なのです。
出し惜しみをされると気になる人が多い
それを知らなかったんです。
へぇ~って思ってしまったんですけど、それ何で?
というクエスチョンが、飛び交います。
ただ、そういう事が起きないように回避することはできるので、最初から言わないために、見るならちゃんと見て、判断をするようにすることを学びました。

いいことはたくさんお伝えしていくつもりです!
自信がない人ほど、ご自身の知らないいいところもあるだろうし、気が付いていないけど、褒めたいところとかもたくさん持っている人がいるので。
そういうところを見つけて、体を元気していくための特殊感覚として、生かしていきます!

それが私にドキドキ・ワクワクを与えてくれる仕事の仕方で、生き方になるからです。

コメント

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright©整体院 ほのぼの,2024All Rights Reserved.