BodyScan  整体

知力が導いた復習・予習・目標日記で、気が付いた私の本当の気持ち。

    
\ この記事を共有 /
知力が導いた復習・予習・目標日記で、気が付いた私の本当の気持ち。

今の私に本当に役立っているなぁと感じることは、日記を書くことです。

小学生中学生頃、どうして日記なんてものが宿題の一部になっているのかまったく分からず、唯々なの意味もなくその日の出来事を書いているだけの文字の羅列とかとした文章に時間を費やしてました。
私がした宿題なんてただそれだけでした。

今は、それがこんなに役経つことなのかぁと感じているのです。

日記によってできる予習復習

毎日起きること、その日にあった反省、明日心がける目標、そしてこの後起こす予定の予習、それらすべてが日記に記されることで、気持ちの持ち方が変わることを知ったからです。

明日何が起きるかわからないという不安と心配を日記にまとめて書いておくと、私は少し安心できるようになりました。
今日の出来事を箇条書きで書いていても何も得られるものではなかったのです。
何をしたから失敗したのか、何をしたから嬉しかったのか、何が悲しかったのか、そしてその後どうなったのかお書いておくと私自身の行動パターンが読み解けてくるのです。
それによって私は気丈が激しくなりやすいのは、どういうときで、私が落ち込んでイライラするのは、こういう時だという事が分かるようになると、この後、または翌日のシミュレーションがしやすくなります。

”外に出ると必ず何か起きる”という予感を吹き飛ばすことが出来るので、外出が恐くなくなりました。

予定は一つに絞って、会話の内容をシミュレーションしておくことで絶対必要言葉を ブッ飛ばさないようになった。

基本的に挨拶とか、お礼を忘れることはないのですが、話しをしていると、これが目的で来たという事を忘れてしまうことがあるのが私です。

買い物だって、必要なものをメモに書いてそれを持ち歩かないと、買い忘れが生じたり、より忘れてしまう場所があったりしてしまうので、書いて車の日差し除けに貼っていたりします。

それと同じように、緊張しやすい私は、人と話す内容を吹っ飛ばす傾向に陥りやすいので、頑張って髪に絶対言わなきゃいけないことは書き込んで、10回以上は声に出して読んでから出かけて行って、付いた先でも、車から降りる前に、それを10回読んでから車から降りています。
それでも一言二言言い忘れてしまう言葉があって、悔しい思いをしてしまったことを、日記に書いて次の日の目標に当てています。

これで何が変わるのか?

まずは安心感が得られるので、心の持ち方が全然違います。
安心できていないと気力がわいてこないので、何に対しても興味を示せないのです。
それが、復讐と予習をしておくことで、安心感を確実に得ることが出来ていますから、多少なりの失敗だって、次回の目標に設定できるという受け皿があるから、失敗だって怖くないのです。

気力が安定していると、活力だって積極的に湧き出てくるようになりました。
私は本当に外出が恐くて、人と会うのも、疲れてしまう人でした。
今は人と会うことも外出することも、本当に楽しくて仕方ないのです。
行ってみたところ、会えた人、話した内容、触れたもの、何もかもが私に必要だと感じることが出来るようになりました。

活力に満ち溢れてくると、知力にも恵まれていくのです。
何もかもが必要なものだと感じられる現実を引き出しているのは、知力による働きなのです。
私に必要だからこそ耐えてくれている現実なので、私自身が受け取れる価値があるからだと知力が判断したからこその結果なのです。
そう考えることが出来るようになってくると、やはり安心するという環境を自分で作るための方法を手に入れることは、元も重要なことなおです。

”いざ”という備えはみんな欲しいという欲張りな私自身を受け入れることが出来るようになった。

不安がりな私は、とても欲張りだったという事に気が付いのも日記を書くようになったからです。
不安材料を取っ払える要素は何でもいいから総て欲しいという私の欲張りさを、私は受け入れることが出来なかったどころか、知ることもなかったのです。
それが、日記を書き続けていて、私が欲しかったものが分かるようになりました。
ここに至るまでの間、どす黒い闇の中へ落ちたり這い上がったりを繰り返しながら、生きていましたが、ようやく見えてきたものが、私自身の気持ちでした。
私は生きている価値がないというのは本心ではなかったという事、そして私の本心は唯々不安や心配事から解放されたいという事だけだったのです。

これを知ることが出来たら、後は解決に乗り切るだけなのです。
どうしたらいいのか・・これを考えてたどり着いた結果が、日記の書き方を変えることでした。

それまでの私の日記は、今の気持ちをひたすら書き綴るだけのもので、何の意味もないものでしかありませんでした。
それが、予習と復習に使うことを、思いついたのです。
本当に偶然に浮かび上がっただけでした。
ですが、それを初めて少しづつ、本当に不安と心配が減らすことが出来るようになってきました。
細かく書こうとしなくていいんです。

目標にしたことは、目立つ場所に貼っていつでも目に見える状態にしておく。

”今日ここへ行って、車の後ろを。壁にぶつけた”とか、そんな感じで書いています。
この後も車に乗るので、左右前後をきちんと確認して、バックミラーとサイドミラーにも気を配ります。
という事で、付箋に、”左右前後の確認”と”サイドミラーとバックミラーをよく見る”という付箋をクラクションの所に張り付けているのです。
車の発信前や、赤信号で手車中には、必ずクラクションの付箋をしっかり見ています。

こんな感じですから、私の車に乗った人は、”いったい何だろう?”って気になるし不安な人さえ出てくるでしょうけど。こうしないと逆に危ないのでしているのです。

”行動を一つ起こすたびに、シミュレーションをしないと動けない”が無くなった。

前の内容で、私は、行動を起こす前に、まず気分を上げて覚悟を決めて、体の準備をして・・というシミュレーションをしないと動けないと書いていましたが、今はそれが本当になくなったのです。
日記の中で済ましてしまえるからです。

日記を書きながら頭の中で、その行動をしている気分と体の動きを鮮明に想像することが出来てしまうので、全く時間をかけずに次の行動が出来てしまうのです。
読み直しは、次の行動をするたびに読み返しをしていますが、読み返すだけで振り返りもできるし、思い描くこともできてしまうので、時間をかけることはなくなりました。
ただやっぱり書く時間は取りますが。

まとめ

私は、日記の書き方で、気力・活力・知力を得ることが出来ること知ったのです。
まずは気力を養うことが出来るようになるのです。
出来なかったこと、恐れていたことを取っ払うことが出来、自分の本当の気持ちを知ることが出来ました。

次に活力が溢れたことで、外の環境に触れることが楽しくなりました。
私に関わるものすべてが、私のとって必要なものだという事を体が受け入れていることを感じています。

最後に、知力に恵まれているという事にも気が付きました。
私が見ている現実総ては私自身が受け入れる価値があるものだからこそ、現実になっているという事を実感したと同時に、私が手に入れたいとずっと考えていた現実だという事を理解できたのです。

日記に関わらず、何でもいので、役に立つ使い方をすることで自分を変えることが出来るのです。

コメント

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright©整体院 ほのぼの,2024All Rights Reserved.